Crash and build

2019年秋、この歳になると偶発的なご縁ももはや奇跡というよりも既に定められた確信であり、何とか具現化する責務を背負っていたかのような、、、まさか、その日が自身の誕生の日だったと言うのはもはや、導かれるべき事だったに他ならない。

8ヶ月間に及んだデューデリは、10年位前に漠然と思い描きはじめた「いつかの自身」その物の形で結実し、これから始まる次のステージのお膳立てとして絢爛すぎるくらいの右往左往の連続で、本来であればこれからが初まりにも関わらず、、、という浮揚感で居る。

梅雨入りしたとは思えないほど、肌に触れる湿度が爽やかな誕生月の末日。

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End of 2019

年末年始は大陸からの寒気の為に日本海側では急激に冷え込み、太平洋側では暖かくなるという。

2019年も押し迫る頃に突然始まったニューチャレンジは、自身にとって改めて大変意義深くありそうで、嫌、意義深すぎてとても緊張感と充実感が繰り返し訪れるという、「吊り橋効果」というのだろうか、経営とは大変魅力的な仕事である。

残務も片付かないままに恐らく過ぎていきそうな感のある此処の場所で過ごす、恐らく18回目くらいの師走の終わりは、以前にも自身に投げかけた自問自答が変わらず繰り返されることであるだろう。

穏やかな自身の情緒を取り戻すべく、もうしばらくを仕事と戯れる。

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Reach for the Life

神無月も終わりかけだというのに、まだまだ残暑感のある、、、人類誕生の知見でいう温暖化なのか、地球の歴史でいうところの一事象なのか、議論の難しい問題である。

自身の経営者の歴史もまた、たかが20年程度ではあるものの、前述の様な複雑さだけは自慢できるほど良く似た事象である。

これからどのくらい、この答えなき自問自答が続くのかは、今となっては考えない様にしているのだが、今日は明確な法則を見出した気にさせられる一日だった。

大凡十年間は具体的に、根源的には弊社の設立理念だと言っても過言ではない事象が、突然結実しそうで、なんとも現実感のない感覚で居る。

この20年弱という時間、結果少しづつ何かを得何かを犠牲に繰り返されてきたのかもしれない。

自身の中の大きな変化がまたはじまろうとしている。

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A Day

日が変わり令和初めての歳をここで過ごす。

何気なく自身の軌跡を振り返ることのできる日という意味では、単純に意義深く感じはんめん、為すべきことを成せなかった事への罪悪感と共にパラレルの世界が共存する。

創業当時に想いを馳せたその当時の未来の今と、ありきたりだがたった今直面する目の前の景色と自身の歩みは、想像以上に出来すぎていることの恐怖と、未だできることの多さとを感じながらもその歩みの遅さに、、、歩みの遅さは最早今に始まった事ではないのだが、何れにせよ惰性で過ごす世代なのでは無いだろうか。

何れにせよ、3つの時代を生きることになった事だけは、紛れも無い現実である。

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Suddenly Come out

皐月晴れというには少し暑すぎる1日を終え、数年かけて完成した「未完の作品」へ乗り込み、少しだけアクセルを煽るべく夜の帳へキーをひねる。

とはいえど、昼間の暑さとは裏腹に夜風は半袖のシャツとデニムでは肌寒いくらいに感じられ、踊る心と比例させて開けていくスロットルの面積の大きさを、増やせば増やすほど、左頬を掠める疾風は段々と寒さえと変わっていく。

山手へ向かって舵を切り、少しづつ眠りから覚ますための儀式を繰り返すように、トランスミッションのうめき声を避けるべく、まさに、慎重、そしてアグレッシブにダブルクラッチをあてながら、ギヤを一段一段順序よく上げ下げを繰り返す。

程なく、自身とのシンクロが完了する頃には、タコメーターは5000回転オーバーを維持すべく、小刻みなシフト操作とともに山の中腹へ向けてスピードを乗せていく。

まるで、人馬が一体となったかのように、、、

まさに、静寂が闇に広がる、、、古いが故の融通の幅のお陰で、なんとか麓近く、、、今日は自身の機嫌がいいのか、はたまた送るべく出来事をすでに期待して出発したのか、今となっては、あの頃の自身に問う気もないが、レッカーを待つ心も踊る五月の某日。

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Fright on Okinawa

上空1万キロメートルの景色は、雲海と言うのだろうか積層の雲の厚さは見当もつかず、当然雲下の景色などは想像もつかない。

そんな状況へ誘ってくれる飛行機が自身を旅へと駆り立てるのかもしれない。

とりたてて名所旧跡や世界の景勝地を訪れたい欲はなく、むしろ、道中に巡り合う偶然の連続を期待して彷徨き廻ることの方が、自身の目的とかしてる感がある。

で、機内に戻ると、定速ではあるのだろうが数時間を過ごすと脳の一部機能なのだろうかと錯覚するほど馴染んでしまったジェットエンジンの回転音が、程よく自身の精神状態を一点集中の状態に誘い、ひたすらに、雲海の上の霞のない青と現生を覆い尽くす厚雲だけ白が、本来世界はシンプルにできているのだと言うことを実感させてくれる。

さぁ、現実世界へ。

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Ray-Rou

朝目覚めると、空調の設定温度の低さを恨む日が増えてきた。

老いと引き換えに得た年月は、時として後ろを振り返る瞬間のきっかけをも増やしてくれる。

空を覆い尽くす深い雲の連なる隙間に、ポツポツと見える明るさの部分。

それが一瞬なのか、ひとつの塊なのか、無限に広がる大海原なのか、判断のつかないままに闇雲に自信を見失わないことだけを信じて祈り続ける。

数年に及ぶそれらの事象から、気がつけば「そういうことだったのか」と気付かされた時にはさらに数年を要し、そんな自信のちっぽけさに顔を赤らめる。

繰り返し創造する新たな事業には、弱さと老いと闘い続けたいという儚い想いもあるのかもしれない。

玲瓏とは、透き通り曇りのない様を言う、、、

長月の空はまさに玲瓏さそのものである。

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Come again

岐阜、そして神戸へ。

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How we live

慌ただしく駆け抜けた週の始まりは、無事に最終の搭乗案内を聞くところまで来た。

それぞれの想いを紡ぐ群衆に紛れる事が目的だったのだが、それは稀有な出来事と感じない年齢の自身がいる。

哀しみが大勢ではあるのだろうが、生物としてのある種の順番からすれば、語弊はあるものの順当ではあるのだろう。

迎える当事者の心中を推し量るまでもないものの、彼らの想いはまた何処へ馳せるべきなのか、現実世界がまた、それらの想いも複雑にする。

故人達がどう生きてきたのか、もしくは、どう生かされ誰に必要とされ、誰を必要としたのか、自身に残されたどれくらいかの時間にトレースする。

さぁ、帰ろう。

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Blue sky

数日間の突然の寒さに随分と身をすくめてからの卯月の好天。

少し汗ばむ程度ではあるが、やがてくる暑さを予感させるのには十分なほどの暑さである。

決算までの折り返しの月、、、普段であれば、改めて薄らぎ行く油断を引き締めるための区切りの月だけなのだが、旧知の友人たちの栄転の区切りに半期の折り返しを多少意識しない数日を過ごした。

10代の終わり、学友たちとの自意識過剰なほど社会という不安の中に放り出される感で散り散りになった別れ。それは永遠の事のように相手の不安なのか自分の不安なのか混同するほどの寂しさ。例えそれが、ほんの僅かの別れであっても。

それから四半世紀。

多少なりとも生きながらえさせられた自身があるからか、案外受け止めることが容易になった気がする。

それでも変わらない心の奥底の僅かからは、あの当時の相手に対し当時の背丈の自身の心を重ね合わせ、余計なお世話の説法を解く。

烏滸がましいほどの目線から、、、

それでも伝えたい僅かに残る自身の心の蟠りを、相手の向こう側のあの頃の若者へ。

若者と初老、狭間にある盾と矛

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